「パテ・クルート」は、粉生地で肉を練って作るパテを包んで焼いた伝統的なフランス料理のことです。「パテ・クルート世界選手権」は、2009 年から始まった大会で、日本では2015 年よりアジア大会として開催されています。毎回フランス・リヨンで行われる世界大
会には、欧州、アメリカ、アジア、タヒチ大会で選出された 14 人の調理人が参加して優勝を競います。
今回は「第 7 回パテ・クルート世界選手権アジア大会決勝 1 位」「第 7 回パテ・クルート世界選手権決勝 リシュリュー賞」を受賞した原和孝シェフにお話を聞きました!
<お話を伺った人>
原和孝
辻調理師専門学校卒業後、東京のフレンチレストランでの修業を経て、2007 年よりホテル 日航福岡に勤務。宴会調理を 14 年、フレンチレストラン「レ・セレブリテ」を経て、現在カフェレストラン「セリーナ」に勤務。
独学からスタートしたコンクール挑戦
コンテストへの挑戦は 5 年前。総料理長から教えてもらったことがきっかけでした。
パテ・クルートは、パテと周りのパイ生地で構成されているのですが、パテ自体は火を入れずに、パイ生地はしっかりと焼き上げなくてはいけなくて、とても難しいんです。
初挑戦の時は専用の型もなく、日本では専門書もなく、総料理長のアドバイスを頼りに独学で挑戦しなければならず、準備の時間もなかった 1年目はパイ生地に穴が開いてしまうぐらいで、本当にレベルが低かったと思います。
2回目の挑戦のときは SNS で研究し、大会の主催者から出版された本などで色々な情報を知ることができました。当ホテルのOBの先輩が3位になったことも大きな刺激になり準備をしたのですが、残念ながら落選しました。
3回目の時は実食審査が行われました。今までは写真とレシピのみだったので、実食しても らえるなら上位を狙いたいとしっかり準備をして挑み、決勝へ初めて行くことができました。
初めての決勝の舞台で得たもの
この大会は、他の大会と違い調理時間は無制限なんです。たとえば、1週間でも時間をかけていいんです。私の性格上、しっかり準備ができる点で相性が良かったのだと思います。
ですが、決勝の舞台ではボロボロ。各項目にはっきりと点数が表示されるんです。もうやりたくないと思いましたが、決勝戦でいろんなシェフと繋がって情報交換ができ、すごく大きな刺激と実りをもらいました。そう思うと決勝に行けて良かったですし、いろいろと情報を得たことで、次の 4 回目の挑戦で優勝できたのではないかと思います。
アジア大会優勝。そして世界へ
アジア大会で優勝し、世界大会の切符を得ることができました。ただ、約1ヶ月しか時間がなかったんですよね。現地でのキッチンやアシスタントも手配しなければいけない中、 料理の準備もしたいという状況でした。そんなときに総支配人から旅行会社の方を紹介してもらうことができ、移動や宿泊などの手配をお願いしました。すごく助かりましたし、そのおかげもあり日本で試作を作ってから挑戦ができました。会社からのサポートは他にも、パテ・クルート用の型の購入や、調理設備も整えていただきました。パテ・クルートは1本で2~3kgくらいあるのですが、宴会担当だったのでコースの一皿として提供することもできました。仕事の中でパテ・クルートに触れることができたのも、ホテルの環境があってこそだと思います。
出場した世界大会では大きな衝撃を受けました。優勝した方の料理を実際に見ると、今まで 写真で見てきたものと全く違うと感じました。味、見た目すべてです。しかしながら同時に、いろいろな人に助けられてここまで来られたことに感謝の気持ちも沸き上がりました。決勝 戦で出逢ったシェフの方々や、社内の先輩、またパイはパティシエの技術も必要で、製菓の スタッフにも色々なアドバイスをもらいながらトライアンドエラーを繰り返してきたので、挑戦して良かったと思っています。
料理人がコンクールに挑戦する意義
コンクールへの準備は通常業務外で行わないといけないので大変ですし、頑張っても評価につながらないこともあります。ですが、挑戦している時間は、おのずと人よりも努力しようとしますし、失敗することも財産です。挑戦するだけでも価値があると思います。例えばホテルの中で一番になったとしても、外へ出ると全く評価が変わるわけです。本当の「自分の現在地」が判るのは、料理人にとっては大きな経験だと思います。
また、純粋に「引き出し」も増えます。食材に真剣に向き合うので、たとえば肉一つの見え方が全く違ってきますし、パイ生地も小麦粉から調べることで、それぞれのレシピに合ったものを使うというような選択肢が増えていきます。コンクールへの参加は、本気であればあるほど自分のスキルアップになると思いますよ!