玄関の打ち水は、「お客様をお迎えする用意ができています」という茶道のおもてなし。「お茶事の宿」として知られる京都屈指の老舗旅館「炭屋旅館」の女将の堀部寛子氏と料理長の堀部成以氏に、変わりゆく時代に料理人として大切なことについて話を聞きました。
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新型コロナ感染症の流行で、京都の街から観光客の姿が消えました。
海外からも観光客が多く訪れていた京都にとって大きなダメージとなりましたが、渦中はどのように過ごされていましたか。大正初期の創業以来、経験したことのない1年でした。
始まりは2月でした。一昨年、去年は「春節(中国の旧正月で最も大切な国民の休日)」の頃は交代要員が必要なほど大忙しでしたが、今年はコロナでキャンセルが出始め、3月には海外のお客様はまったく来られなくなりました。4月に桜が咲いても人は戻らず、5月には緊急事態宣言。しばらくは常連さんの予約が1組だけ、という日もありました。
お客様は来られなくても従業員は20人、30人います。さて、どうしようかと。掃除に掃除を重ねたり、片付けたり畳を変えたり、ガラス磨き、布団の整理など、普段お客様がおられたらできないことを探すようにして過ごしていましたね。今思うといい機会だったとも言えますが、先が見えない中、とても寂しい日々が続きました。
GOTOトラベルが始まってからは常連さんだけでなく、車で移動できる近距離で旅行を楽しみたいというお客様もたくさん来てくださっています。まだ外国人のお客様はおられないので日本人のお客様だけですが、おかげさまでお正月はすでに満室になっています。
今年は、大正初期の創業以来、経験したことのない1年でしたね。
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旅館としてお客さんが誰も宿泊されていない状況というのは、
これまでにない非常事態だったと思います。調理場の様子はどうでしたか。 「召し上がって頂ける方のいることのありがたさ」こそが、仕事の本随
今回のコロナは本当に大変な出来事ではありますが、料理人として「初心に帰る」よい機会になったと思っています。
私たちの仕事は、召し上がって頂ける方がいるからできていた仕事です。私たちの料理を召し上がってくださるお客様がいなくなった現実を前に、正直、何をしたらいいかわからなくなりました。何もできない無力さを感じてしまったんです。
そんな時に、医療従事者の方々にお弁当を作ったらとても喜んでいただけた。24時間体制で働く中で、お腹を満たすだけの食事しかされていなかったとのことで、できるだけのことをしたいと従業員みんなで心を込めて作りました。
召し上がって頂けるありがたさ。召し上がって頂ける方がいることのありがたさ。基本的なことですが、それこそが、私たちの仕事の本随だと改めて思いましたね。
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コロナ禍は、仕事への姿勢を再認識する機会にもなったんですね。
今後の新卒採用は状況を見ながらということですが、現在の採用状況と新人教育について教えてください。料理の技術よりも、調理場に馴染めるか
調理場には、毎年1人ずつぐらい新卒で入社しています。入社理由は、将来家業を継ぎたい、自分で開業したい、京都の老舗で学びたいなど、さまざまです。
料理人の教育は昔とはずいぶん変わりました。昔は「見習いは洗い場から」というのが通常でしたが、今は違います。早い時期から包丁を持って少しでも早く調理場の一員になってほしいという考えで、包丁も入社してすぐに自分専用のものを買い与えます。「自分の道具を持って大事にする」のも料理人として大事なところです。
しかし、技術を覚えるには当然時間がかかります。まずはうまく調理場に馴染めるかどうかが大事。料理の技術はなくても調理場で周囲とコミュニケーションが取れるかということが良い料理人への第一歩かもしれません。
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料理人という仕事について、大切にされていること、料理長として日頃から新人に伝えていることはありますか。
また、料理人をめざす学生たちにメッセージをお願いします。「丁寧な仕事」の先にあるおいしさを追求しよう
実は、料理人の仕事は一人前になっても8割、9割は雑用です。ほとんどが掃除、片付け、食材の管理、道具の管理で、料理は残りの2割ほどです。でも、その2割のために環境を整えることがとても大事なんです。新しいこと、新しいやり方はやろうと思えばいくらでもできますが、まずは環境を作ること。それができた上で「何をすべきか」を考える。朝、きれいな調理場に立った時に「スカッとする」。そんな感覚を大事にしてほしいです。
そして今、いろんな仕事がAIに取って代わられると言われています。私たちの世界もそうなる可能性は十分にあります。生産性、効率性を最優先に追求して、省かれるのは人間という時代です。食べ物だってわざわざ出汁を引かなくても電子レンジでチンすれば簡単においしいものが食べられる。10年先、20年先に、それで満足する人ばかりになったらどうなるだろう?将来、私たちの作るおいしさを望む人がいなかったらどうなるのかという危機感はあります。
しかし、このような時代変化の中でこそ、生き残って未来につないでいけるのは「丁寧な仕事」だとも思います。ひとつひとつの作業を丁寧に、大事にしていくこと。丁寧な仕事の先にあるおいしさを追求しましょう。
この仕事は、単に料理を作ってお代やお給料をもらってありがとうございましたというものではありません。お客様からいただくお金は、自分たちが考えながら丁寧に取り組んだ結果の報酬です。そこを考えると、もっと豊かな気持ちで料理に取り組めると思います。
最後に、この世界は実際に飛びこんでみるとしんどいことも多いかもしれない。でも、しんどいだけで終わらないでほしいです。壁に当たるのは成長の証です。この世界でやっていくと決めたなら、「やっててよかった!」と思うまでは頑張ってください。