株式会社日東 代表取締役 / 中村章秀
インテリアデザインの専門学校卒業後、商店建築商業デザイン・内装工事から、総合建設の施工管理を経て2008年日東へ。
常に向上心と真面目な仕事ぶり、チームを統率する総合力を買われ、管理業務から代表取締役に就任(2016年11月)。
モットーは「スマート・笑顔」
常に次のステージを求めて
物をつくることが好きで高校卒業後は美術系専門学校でインテリアデザインを専攻しました。
商業施設の内装設計施工を手掛ける会社で6年間、商業デザインや施工管理を担当。次第に建物の構造に関心が向くようになり、のちに総合建設会社へ転職。そこで13年間、公共工事、木造建築からRC造、リノベーションリフォームまで施工管理と営業を一通り経験しました。
キャリアを積んでいく上で、今度は何かに特化したい、自分の強みが欲しいと思うように。自己責任で結果を出したいという勝気な性格も手伝い、独立も視野に入れた転職を考え始めましたが、当時は子供も小さく資金もありませんでした。30歳半ばの時、ある企業から声をかけてもらったものの、一歩踏み出す自信がなかった悔しさは今も覚えています。
人生を変える出会い
そんな曖昧な気持ちに揺れていたある日、高校時代からの親友が夢を追いかけて転職したと聞き、私の心にも再びスイッチが入りました。
しかし当時は就職難。条件に見合う求人は一つもありません。とりあえず、年収の高い企業ランキング上位10社に一方的に履歴書を送付。今思えば無謀ですが(笑)、最終的に2社内定をもらいました。
そんな折、転職サイト経由で今の日東から逆オファーがあり、冷やかし半分で面談をすることに。当時の社屋は今とは大違いの小さな社屋で、キャリアアップを狙う私としては正直、(ここはないわ…)と思ったのですが、結果的にこの時の出会いが私の人生を大きく変えることになりました。
毎年○○○万?単位で給料が上がる?!
ドアを開けると、そこにいたのは私の何倍も口達者な社長。
日東が大規模修繕を始めた時期でもあり、工事をまとめる人が欲しいと熱烈に誘われたものの、給与面で折り合いがつかず一度お断りをしました。
ところが翌日連絡があり、新たなプランを作ったから来て欲しいと。仕事の帰りに再訪問すると、私の希望年収に辿りつくまでの計画表を提示され、「貴方次第で毎年○○○万?単位で上がっていくから」と言われたのです(笑)。
(いやいや!ないない!)そんな私の心を見抜くかのように更なる一言。「実力と自信があったらこなせるでしょ」と。
ここで負けず嫌いな自身の性格に火がついてしまい、その場で雇用期間は毎年一年更新契約、「お互いに納得しなかったら更新はなし」という条件で入社することになりました。
運だけでのし上がったわけではありません
大きなことを言った手前、入社後はゼロから必死で働きました。
当時は正直忙し過ぎて、家族サービスは勿論、趣味のバイクにも乗れず、結局エンジンがダメになり手放すことに。すごく気に入っていたので当時はつらかったですね。
無我夢中で気づいたら早5年が経過。再び、この先このままでいいのか?どうするかと考えていた矢先、前社長から会社の事業継承の相談があり、専務取締役を経て、入社8年目の2016年11月に47歳で代表取締役となりました。
友達からは何のコネもなく「運と実力?でのし上がった男」と言われています。(笑)この先は次世代へのバトンタッチ「継続」が社長としての私の役目。若い世代に私が貰った様に社員にどんどんチャンスを与えていきたいと思っています。
やりたいこと 思い立ったらまず行動。
バトンタッチを視野に入れるようになったこともあり、今年は「行動」をテーマに掲げています。
思いがきちんと伝わるよう、行動で形にする。仕事でもプライベートでも、以前から気になっていたことは実行する。趣味のことになりますが、早速ずっとやりたかったダイビングを始めました。同世代の仲間たちと石垣島に行ってライセンスを取得。
今は休みが取れれば潜りに行きたいとうずうずしています。
まだまだ先になろうかと思いますが将来第一線を退いたら封印してきたバイクも復活させたいですね。(笑)
また、あくまでビジョンとしてですが、もともと好きだったインテリアや内装関係の仕事を改めてチャレンジしてみたいという気持ちもあります。これまでの経験を活かし、あらゆる建物の内装と外装、設備すべて経験してきた私の強みを持って、将来的には少しでも人に、地域に社会貢献できればいいと思っています。
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