OUR PEOPLE / 社員紹介

エリアマネージャー
植西 優太
  • 京都調理師専門学校出身

マネージャーへ“人を育てる責任”が自分を強くする

店長としての経験を重ね、ついには2店舗を任され、マネージャーに昇格することになりました。緊張で手が震えるほどのプレッシャーでしたが、「より多くの人と関われる、より多くのお客様に喜んでもらえる」と思うとワクワクが大きかったです。市から県へ、そして全国へ。自分たちが作る料理や想いを届けたいという夢が、どんどん広がっていきました。今では、スタッフの成長や昇格を自分のことのように嬉しく思えるようになりました。「その人の人生を背負っている」という覚悟で人と向き合い、成長のきっかけを与えること。それは何より自分のやりがいにもつながっています。人と関わる仕事は難しいけれど、その分得られるものも大きいです。

UPDATE:2025.05.26

店長へ昇格“マインド”が変わる瞬間

正社員になって数年、店長に昇格した直後にコロナ禍が襲い、正直心が折れそうになりました。業務に慣れたばかりの時期に、大きな責任を背負うことになり、不安だらけでした。でも、そんな時に助けてくれたのが、他店舗の店長やマネージャー、幹部たち。彼らとの交流を通して、他責から自責への考え方に変わっていきました。できない理由ではなく、どうすればできるかを考える。料理のスキルはもちろん、仕事に対する“マインド”が何より大切だということに気づかされました。多くの仲間と接し、関わることで、自分自身も変われる。成長とは、自分一人でなく、人とのつながりの中で起きるものだと実感しました。

UPDATE:2025.05.21

ファミレスの偏見が変革、本格的な料理と人との出会い

最初はアルバイトとして入り、その後正社員に。実は「温めるだけの仕事だったらやめよう」と思っていました。でも、実際は違いました。セントラルキッチンではなく、店舗でオーダーが通ってから料理を作っていると知って驚きました。ピザも生地から手作りし、ボロネーゼソースも肉を焼くところから始めるなど、本格的な工程が詰まっています。働く環境もホテル時代とは違い、仲間として大切にされている感覚がありました。働き方や人間関係の良さ、頑張りがしっかりと評価される風土があり、「あ、ここなら自分を出せる」と思えました。想像していた“ファミレス”とはまったく違う世界が広がっていたのです。

UPDATE:2025.05.20

ホテルからの転職「料理ができない」もどかしさ

有名ホテルでの就職が決まったときは嬉しかったし、誇りもありました。配属されたのは宴会や朝食ビュッフェの担当。皿洗いや盛り付けといった単調な作業ばかり。どんなに頑張って数年経っても、先輩が同じ立ち位置で働いている現実を目の当たりにし、成長の限界を感じました。「このままで本当に料理人と言えるのか」「肩書だけにしがみついていたいわけじゃない」と悩む日々。料理のスキルをもっと磨きたかったし、“人として”成長したかった。そんなとき、学生時代に家族や友人と利用したピソラに求人が出ているのを見つけ、正直ファミレスに不安はありましたが、面接を受ける決心をしました。

UPDATE:2025.05.19

「料理が好き」を仕事に変えた

幼い頃、家庭で料理の手伝いをして「美味しい」と喜んでもらえた経験が、私が料理人を目指すきっかけでした。調理実習で作った料理を家でもう一度作って、家族の反応を見るのが楽しみでした。進路選択の時、「やっぱり料理がしたい」という気持ちは揺るがず、大学進学を望んだ父を説得し、調理の道に進むことを決意。高校卒業後は専門学校へ進学し、調理師免許を取得。周囲が大学へ進む中、就職先は“誰もが知っている有名ホテル”を目指しました。やりたいことを応援すると、背中を押してくれた家族の想いを胸に、料理の世界への第一歩を踏み出しました。

UPDATE:2025.05.12

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CAREER STORY

入社から現在に至るまで。ポジション、役割、職務をご紹介。

「料理が好き」を仕事に変えた

幼い頃、家庭で料理の手伝いをして「美味しい」と喜んでもらえた経験が、私が料理人を目指すきっかけでした。調理実習で作った料理を家でもう一度作って、家族の反応を見るのが楽しみでした。進路選択の時、「やっぱり料理がしたい」という気持ちは揺るがず、大学進学を望んだ父を説得し、調理の道に進むことを決意。高校卒業後は専門学校へ進学し、調理師免許を取得。周囲が大学へ進む中、就職先は“誰もが知っている有名ホテル”を目指しました。やりたいことを応援すると、背中を押してくれた家族の想いを胸に、料理の世界への第一歩を踏み出しました。

ホテルからの転職「料理ができない」もどかしさ

有名ホテルでの就職が決まったときは嬉しかったし、誇りもありました。配属されたのは宴会や朝食ビュッフェの担当。皿洗いや盛り付けといった単調な作業ばかり。どんなに頑張って数年経っても、先輩が同じ立ち位置で働いている現実を目の当たりにし、成長の限界を感じました。「このままで本当に料理人と言えるのか」「肩書だけにしがみついていたいわけじゃない」と悩む日々。料理のスキルをもっと磨きたかったし、“人として”成長したかった。そんなとき、学生時代に家族や友人と利用したピソラに求人が出ているのを見つけ、正直ファミレスに不安はありましたが、面接を受ける決心をしました。

ファミレスの偏見が変革、本格的な料理と人との出会い

最初はアルバイトとして入り、その後正社員に。実は「温めるだけの仕事だったらやめよう」と思っていました。でも、実際は違いました。セントラルキッチンではなく、店舗でオーダーが通ってから料理を作っていると知って驚きました。ピザも生地から手作りし、ボロネーゼソースも肉を焼くところから始めるなど、本格的な工程が詰まっています。働く環境もホテル時代とは違い、仲間として大切にされている感覚がありました。働き方や人間関係の良さ、頑張りがしっかりと評価される風土があり、「あ、ここなら自分を出せる」と思えました。想像していた“ファミレス”とはまったく違う世界が広がっていたのです。

店長へ昇格“マインド”が変わる瞬間

正社員になって数年、店長に昇格した直後にコロナ禍が襲い、正直心が折れそうになりました。業務に慣れたばかりの時期に、大きな責任を背負うことになり、不安だらけでした。でも、そんな時に助けてくれたのが、他店舗の店長やマネージャー、幹部たち。彼らとの交流を通して、他責から自責への考え方に変わっていきました。できない理由ではなく、どうすればできるかを考える。料理のスキルはもちろん、仕事に対する“マインド”が何より大切だということに気づかされました。多くの仲間と接し、関わることで、自分自身も変われる。成長とは、自分一人でなく、人とのつながりの中で起きるものだと実感しました。

マネージャーへ“人を育てる責任”が自分を強くする

店長としての経験を重ね、ついには2店舗を任され、マネージャーに昇格することになりました。緊張で手が震えるほどのプレッシャーでしたが、「より多くの人と関われる、より多くのお客様に喜んでもらえる」と思うとワクワクが大きかったです。市から県へ、そして全国へ。自分たちが作る料理や想いを届けたいという夢が、どんどん広がっていきました。今では、スタッフの成長や昇格を自分のことのように嬉しく思えるようになりました。「その人の人生を背負っている」という覚悟で人と向き合い、成長のきっかけを与えること。それは何より自分のやりがいにもつながっています。人と関わる仕事は難しいけれど、その分得られるものも大きいです。

チャレンジが評価される場所

ピソラの魅力は「挑戦する人が評価される」ことにあります。年齢や役職に関係なく、チャレンジしたことがきちんと見られていて、それが評価に繋がる。むしろ“挑戦しないこと”が問われる会社です。失敗して怒るのではなくその人の成長と仲間やお客様の為に叱る。そんな風土があるからこそ、自分から動く力が身に付きます。指示待ちではなく、自分の意思で考えて動く。それが評価にもつながるし、何より仕事が面白くなっていきます。ファミレスって言うと“簡単そう”って思われがちだけど、ピソラは本格派。仕込み、食材選び、マニュアルの完成度、すべてにこだわっていて、料理の知識も技術も確実に身に付きます。

将来の夢が「自分の店」よりも「会社と共に」

かつては「自分の店を持ちたい」とも思っていました。でも今は、「この会社と一緒に成長していきたい」と心から思えます。それは、ピソラが“夢を見せてくれる場所”だから。会社の使命が自分の使命になり、理念に共感しながら行動できるようになった今、自分の働く意味も明確になりました。失敗しても支えてくれる、挑戦を歓迎してくれる会社だからこそ、常に前を向ける。料理のスキルだけでなく、人としての在り方まで学べる環境がここにあります。仲間と一緒に成長し、より良い商品、サービス、空間といったピソラの魅力を全国に届けていく。そのために、これからもチャレンジをしていきます。