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2022/03/11 08:41 投稿

地図に残るモノ作り

作ったものが形に残る、地図に残る、ということがこの仕事の一番のおもしろさですね。
自分が以前作った道路がちょうど実家に帰省する際に利用する道なんです。そこを通るたびに当時を思い出します。
もちろん仕事なので楽しいことばかりというわけにはいかず、辛いこともありますが、自分の作ったものを家族や子供に自慢できるところは大きなやりがいです。

2021/01/22 18:11 投稿

好きだった料理を活かせる道に進みたくて入社を決意

もともと料理が好きで、実家にいるころから母親の炊事を手伝ったり、専門学校でも包丁を触る機会が多く、食品会社へ進みたいと思っていました。入社を決めたのは安定した会社であること、コンビニが個人的に好きで、自分が製造に関わった商品が消費者の皆さんのもとに届く仕事ができると思ったからです。学校の先輩から「デリカフレッシュには先輩の卒業生が勤務しているよ」と勧めてもらえたのも決め手になりました。現在は調理の担当で肉や魚の処理をしたり、実際に釜で食材を調理したり、でき上ったものを食べやすい大きさにカットしたり、という仕事をしています。希望通り、調理や包丁を使うことを仕事に活かせているので楽しいです。

2021/01/22 13:00 投稿

若い人と楽しく、それが恩返し

仕事ではやはり、若い人と楽しく現場をやるのがいいですね。ワイワイと。今井さんは甘いと言われますが、昔は自分も年配者の中でやってきたからわかるんです。困っていたら何か力になりたいと思いますし、役に立てたら嬉しいですしね。
私ね、コウヨウ土木には恩があるんです。早いもので入社して30年。二十歳前後のやんちゃだった自分が、仕事を得て家族を持ち、何とか幸せに生きていられるのは、あの時雇ってくれた会社のおかげ。本当に感謝しています。だから、コウヨウ土木の社員として誇りをもっているし、会社のことを少しでも悪く言われたら腹が立つ(笑) これからも若い人たちと一緒にコウヨウ土木を盛り上げたいと思っています。

2021/01/22 08:54 投稿

くじけず乗り越えられた理由

大学では土木関係を専攻していましたが、実際の仕事ではわからないことばかり。職人さんが話す言葉、道具の名前、専門用語、まずはそれらを覚えることが最初の仕事だったように思います。現場では良かれと思ってしたことが裏目に出たり、不注意で迷惑を掛けたり、たくさん失敗しましたね。厳しい指摘を受けたことも数知れません(笑) でも、やってみないと成長もない。しんどいなという時、親身に話を聞いてくれる先輩が身近にいてくれたおかげで、くじけず乗り越えることができました。あとは飲み会での情報交換も役立ちましたね。くだらない話から真剣な話まで、何でも話し合える人間関係は、五大コーポレーションならではの良さだと思います

2021/01/25 11:34 投稿

すべてはその瞬間のために

事務所では主に図面の確認や施工数量の積算、資材や人員配置の段取りをしています。以前は建築工事の現場を担当していましたが、最近は型枠の現場が増えており、施工状況確認、元請との施工・工程調整、品質管理などを行っています。事務所と現場の割合は5:5くらいでしょうか。
この仕事は最後にようやく、やってよかった、と思える仕事。実際のところ、途中の経過はしんどいことも多い。でも、完成したらすべてが吹き飛ぶ達成感を味わうことができます。その瞬間のために、動いて、考えて、形あるものを作っていく。そして最後はお客様にも喜んでいただける、最高の仕事ではないでしょうか。

2021/01/21 08:59 投稿

栄和建設で頑張りたいこと

栄和建設は少数精鋭の会社なので、一人ひとりの責任が大きく、その分全員が主体的に動くことが求められると思います。入社一年目から同期と切磋琢磨して成長していきたいです。
特に僕はまだ建築の知識がないので、わからない自分を認めて、質問したり勉強に励むことで少しでも早くたくさんの知識を身につけていきたいです。
今は「自分主体で担当できる一番初めての現場はどんな現場だろう」と考えると楽しみでしかたないです。まずは先輩方や現場の職人さんに安心して任せられそうと思ってもらえるよう、礼儀や挨拶からしっかりと取り組んでいきます。

2021/01/21 08:51 投稿

当社の魅力と私の夢

当社は自社施工で、プランナーも現場へ行き、職人さんと話す機会が多いと思います。私も毎案件現場には出ていますし、直接要望を伝えています。そうすると知識がつき、提案の幅が広がります。スキルアップできますよ。また、お客様満足度が高いので、長くお客様とお付き合いできる魅力にもつながります。

お客様によってさまざまなご要望があるので、多種多様な住まいに関わってきました。「いつでも家に寄ってね」とお引渡し後に言われるなど、嬉しい思い出がたくさんあります。いつか「上野工務店でまた家建ててるね」と言われるくらいの存在感になれたらと思っています。

2021/01/20 10:07 投稿

言われたら照れ嬉しい言葉

私は人見知りをするところがあり、昔は今ほど人と話すことができませんでした。あがり症ですぐに緊張してしまう。しどろもどろから始まり、いろんな人と出会う中で少しずつ慣れていき、次第に初対面の職人さんともコミュニケーションがとれるように。今では現場の未熟年者教育を担当しており、経験の積み重ねは大きいと実感しています。
昔の現場で一緒だった人から、今でもたまに連絡をもらうんですよ。付き合いが続いてくのはありがたいですね。駆け出しの頃の自分を知る人から「たくましくなってるなぁ」と言われると、少し照れますが嬉しくなります。いつも気にかけて面倒をみてくれた先輩たちのおかげだと感謝しています。

2021/01/18 11:32 投稿

苦手でもやれば何とかなります

はじめは何も知らない素人でしたが、経験を積むごとに測量(光波・レベル)、AutoCAD、(図面作成・座標返還によるHOcad測量)・写真撮影(エクセル整理)、積算の知識・技術が身に付き、気づけば重機・鉄筋・型枠・足場・コンクリート打設・コンクリート二次製品据付など、多様な工事ができるようになっていました。
もともと算数は苦手。悪戦苦闘していたら、sin,cos,tanの計算は電卓で簡単にできると測量士さんが教えてくれたことも。今はパソコンがあるのでもっと簡単になりました。苦手意識があっても、やってみれば何とかなるもの。みなさんもやりたいことには思い切ってチャレンジしてくださいね。

2021/01/16 09:05 投稿

防災・減災に貢献するやりがい

これまで河川、道路、宅地造成など、さまざまな現場を担当。その中でも造成工事は自分のやり方で進められることが多いので、個人的には一番面白いと感じています。現場に必要な資格や免許も取得しました。
印象深いのは、入社4年目くらいに担当した河川の護岸工事です。何のためにやっているのか気になり調べたところ、降雨量的に100年に一度降るか・降らないかの豪雨に備えた工事だと判明。今ほど防災・減災が話題になっていない時だったので初めは少し驚きましたが、大きな意味のある仕事に携わる責任の大きさを実感。現在担当しているのも耐震工事の現場、その時の学びが現在にも生きていると思います。

忘れられない最後の神輿担ぎ

私が生まれ育った百舌鳥地域では、毎年お祭りが盛大に行われています。私も去年まで青年団の一員として大きな神輿を担いでいました。共に汗をかき辛い練習を重ねてきた仲間とは、死ぬまで一緒と言えるくらい強い絆で結ばれています。幅広い年代の人とのコニュニケーションが必要という点では、仕事も祭りも同じですね。

去年、私が青年団最後の祭りで団長を務めました。最後ということもあり社長にお花寄せ(寄付)をお願いし、お花看板に自分の会社の名前を掲示できたことは忘れられない思い出です。仕事もプライベートも大切にできる、大切にしてもらえる、家族的なあたたかさが我が社の自慢です。

2021/01/15 10:18 投稿

豪邸の建築一式工事の思い出

すべての現場に思い出がありますが、初めて一人で担当した建築一式工事のことは今も印象に残っています。億単位の豪邸の居宅工事。オーナーの「こうして欲しい」の一言で、設計から施工までガラリと変わる。特に設計事務所とのやり取りが大変でした。イメージを共有するために京都まで建物を見に行ったり、あがってくる意匠図と格闘しながら施工図を描いたり。図面は何百枚と描き直したと思います。また豪邸ゆえに、内装や調度品も初めて見聞きするようなオーダーばかり。イギリスの山岳地帯にすむ子羊の腹毛だけを使用した絨毯など、驚きの連続でした。大変で苦労も大きかったですが、滅多にできない良い経験をさせてもらいました。

2021/01/14 18:16 投稿

焼夷爆弾を発見!現場は騒然

長年現場をみていると、(まさか)という出来事に遭遇することがあります。3年前、神戸市の気象台跡地の造成を手掛けた際には、なんと現場から焼夷爆弾が出てきてびっくり!初めはそうとは知らずユンボで動かしていたのですが、よくみるとプロペラがついている。もしかして… 調べてもらったらやっぱり爆弾でした。
その後、撤去作業のため現場は中止に。梅雨の時期だったので、現場の土砂が崩れないか見回りをしたり、爆弾撤去作業の準備に立ち合いをしたり。通常では経験できないことを見聞きした一か月でした。工事が止まったことは痛手でしたが、何より無事故で爆弾が撤去され本当によかったです。

2021/01/14 08:54 投稿

職人さんと協力し合える楽しさ

思い出に残っているのは、入社して1ヶ月半くらいの案件。初めて工程をしっかりと経験しました。プランナーとお客様で大まかに決めていた階段を、職人さんと相談しながら決めたことが嬉しかったんです。お客様の理想の家を、思い通りに作っていくのが楽しいです。
施工管理は職人さんとお客様の間に入って調整することが多い仕事。難しいことももちろんあるのですが、一緒に完成を目指してスムーズに進むととても気持ちがいいんですよね!知識不足の部分もありますので、日々現場で勉強しながら仕事に取り組んでいます。

2021/01/11 20:54 投稿

情熱を注ぎこめる仕事

建設の仕事をしている父の影響で、子供の頃はユンボやブルドーザーが大好きでした。休みの日に父に連れられて現場に行った時のことは、今も鮮明に覚えています。高速道路建設のとても広い現場。大きな重機が小さく見えることに感動しました。
入社のきっかけは父に薦められたことです。高校までは陸上に熱中しており、同じように気持ちを傾けられる仕事を、と考えた時、やはりこの業界で頑張りたいと気持ちが固まりました。朝が苦手な私にとってはかなり大きなチャレンジでしたが、何とか10年続けることができています。最近は、気づけば休日も早起きしてしまうほど(笑)。何事も続けていくことの大切さを実感しています。

2021/01/11 20:50 投稿

昔は“雨=ボーリング”でした

私は素人からこの業界に入りました。高校卒業後に勤めた会社を辞め、これからどうしようと思っていた時に、父からこの会社を薦められたことがきっかけです。初めは気乗りしなかったのですが、せっかくなのでやってみようと入社を決意しました。
当時、周りは目上の人ばかり。職人さんの質問に答えられず、逆に教えてもらうようなこともしょっちゅう。中でも初めて任された河川護岸工事で一緒だった測量士さんには、その後の現場でもいろんなことを教えてもらいました。
そんな新人時代に唯一楽しかったのは、雨の日にみんなでよくボーリングに行ったこと。現場が動かないのでね。今では出来ないことですが、良い思い出として残っています。

2021/01/09 17:28 投稿

褒められるより叱られてなんぼ

印象に残っている現場は?と聞かれて「ここです」と答えられないほど、すべての現場でいろんなことがありました。失敗したことや叱られたことは数知れず。逆にほめられたことはあまり覚えていません。

私たち番頭は現場で何かあった時に、作業する人たちの代わりに謝ったり、叱られたりすることが仕事だと思っています。逆に、うまくいった、きれいにできた、それで褒められるのは職人さん。報われないなぁ(笑)と感じることもありますが、無事に工事が終わればそれでよし、という気持ちで、日々の仕事に向き合っています。

2021/01/08 10:13 投稿

柱を抜く、それだけで新鮮

未経験からのスタートで、建築の勉強もしていない身ですから、何もかもが新鮮。入社後はすぐに現場で、掃除やゴミ捨て、解体作業なんかを手伝いながら、建物の仕組みを学んでいきました。
現場はだいたい8時~18時頃。家は7時には出ていますね。18時には現場を離れるようにと言われていますので、それを超えることはほぼありません。暗くなると、騒音がでないような翌日の準備をして業務終了です。
最初は、リフォームの現場で柱抜いて梁を入れるだけで、「え!柱抜いても建物って倒れへんのや!」っていちいち驚いていましたね(笑)いまだしんどいとか感じず、新鮮で楽しく仕事をしていますよ。

2020年度のクリスマス

このコロナ禍でどれだけのケーキが売れるのか。クリスマスまでの間当日のケーキ受け渡しの導線やケーキの仕込み量、在庫の発注など考えることはたくさんありました。
これまでの経験とは全く違うクリスマス。
改善する点もありましたが、その分学べたこともたくさんありました。
ハートフルではただ作業していくだけでなく一人ひとりが考えて行動しているので自分自身、パティシエールとして成長できたな!と感じることができたクリスマスでした。個人的な話ですが、今年のクリスマスの自分で考えたオリジナルデコレーションケーキは過去1番ご予約の台数をいただき嬉しかったです!(3年連続作らせていただいてます)

2021/01/05 18:00 投稿

働き始めて戸惑ったこと

幼い頃からガンダムや城・船など、プラモデルを作ることが好きでした。図工が得意で小学校の時には表彰されたこともあります。進路を考える際、昔から興味があった“ものづくり”や建設関係の職に就きたいと思い、学校求人からこの会社に入社。阪神淡路大震災があった年だったため、会社全体がとても忙しく、慌ただしかったという記憶があります。
社会人になり戸惑ったのは、朝が早いこと。始業時間に会社へ出社し、そこから現場に移動するのだと思っていたので、慣れるまでは大変でした。昔は厳しい職人も多かったですが、最近は皆さんずいぶん丸くなりましたね。今も付き合いのある人もいて、たまに思い出話に花を咲かせています。